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おや、おや! こいつ気が狂ったみたいに踊っている。タラント蜘蛛 に咬 まれたんだな。
『みんな間違い(1)』
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もうよほど以前のこと、私はウィリアム・ルグラン君という人と親しくしていた。彼は古いユグノー(2)の一家の子孫で、かつては富裕であったが、うちつづく不運のためすっかり貧窮に陥っていた。その災難に伴う屈辱を避けるために、彼は先祖の代から住み慣れたニュー・オーリアンズ(3)の町を去って、南カロライナ州のチャールストンに近いサリヴァン島に住むことになった。
この島は非常に妙な島だ。ほとんど海の砂ばかりでできていて、長さは三マイルほどある。幅はどこでも四分の一マイルを超えない。
この叢林のいちばん奥の、つまり、島の東端からあまり遠くないところに、ルグランは自分で小さな小屋を建てて、私がふとしたことから初めて彼と知りあったときには、そこに住んでいたのだった。私たちは間もなく親密になっていった。――というのは、この
サリヴァン島のある緯度のあたりでは、冬でも寒さが非常にきびしいということはめったになく、秋には火がなくてはたまらぬというようなことはまったく
暗くなってから間もなく彼らは帰ってきて、心から私を歓迎してくれた。ジュピターは耳もとまで口をあけてにたにた笑いながら、
「で、なぜ今夜じゃいけないのかね?」と、私は火の上で両手をこすりながら尋ねた。甲虫なんぞはみんな悪魔に食われてしまえ、と心のなかで思いながら。
「ああ、君がここへ来ることがわかってさえいたらなあ!」とルグランが言った。「だがずいぶん長く会わなかったし、どうして今夜にかぎって訪ねてきてくれるってことがわかるもんかね? 僕は帰りみちで要塞のG――
「何が? ――日の出がかい?」
「ばかな! 違うよ! ――その虫がさ。ぴかぴかした
「
「なるほど。としてもだな、ジャップ」とルグランは、その場合としては不必要なほどちょっと
「なあに、いいさ」ととうとう彼は言った。「これで間に合うだろう」と、チョッキのポケットから、ひどくよごれた
「なるほどね!」と私は、数分間そいつをつくづく見つめた末に、言った。「こりゃあたしかに奇妙な甲虫だよ。僕には初めてだ。これまでにこんなものは見たことがない――
「髑髏だって!」とルグランは
「たぶんそうだろう」と私は言った。「しかしだね、ルグラン、君は絵が上手じゃないねえ。とにかく、その虫の本物を見るまで待たなくちゃならん、どんなご面相をしているのか知ろうと思ったらね」
「そうかなあ」彼は少しむっとして言った。「僕はかなり描けるんだがね、――少なくとも描けなくちゃならんのだ、――いい先生に教わったんだし、自分じゃあそうひどい愚物でもないつもりなんだから」
「しかし、君、それじゃあ君は茶化しているんだよ」と私は言った。「こりゃあ、ちゃんとした普通の頭蓋骨だ。――実際、生理学上のこの部分に関する一般の考えにしたがえば、実に立派な頭蓋骨だと言ってもいいね。――そして君の甲虫というのが、もしこれに似てるのなら、それこそ珍無類の甲虫にちがいない。そうだな、この
us caput hominis(人頭甲虫)とか、何かそういったような名をつけるだろうね。――博物学にはそういうような名前がたくさんあるからね。ところで、君の話したあの触角というのはどこにあるんだい?」「触角!」とルグランが言った。彼はこの話題に奇妙に熱中しているようだった。「触角は君には見えるはずだと思うんだが。僕は、実物の虫についているとおりにはっきりと描いたんだし、それで十分だと思うんだがな」
「うん、そうかねえ」と私は言った。「きっと君は描いておいたんだろう、――でもやっぱり僕には見えない」そして、私は彼の
彼はひどく不機嫌に紙を受け取り、火のなかへ投げこむつもりらしく、それを
それから一カ月ばかりもたったころ(そのあいだ私はルグランにちっとも会わなかった)、彼の下男のジュピターが私をチャールストンに訪ねて来た。私は、この善良な年寄りの黒人がこんなにしょげているのを、それまでに見たことがなかった。で、なにかたいへんな災難が友の身に振りかかったのではなかろうかと気づかった。
「おい、ジャップ」と私が言った。「どうしたんだい? ――旦那はどうかね?」
「へえ、ほんとのことを申しますと、旦那さま、うちの旦那はあんまりよくねえんでがす」
「よくない! それはほんとに困ったことだ。どこが悪いと言っているのかね?」
「それ、そこがですよ! どこも
「たいへん病気だって! ジュピター。――なぜお前はすぐそう言わないんだ?
「いいや、そうでねえ! ――どこにも寝ていねえんで、――そこが困ったこっで、――わっしは
「ジュピター、もっとわかるように言ってもらいたいものだな。お前は旦那が病気だと言う。旦那はどこが悪いのかお前に話さないのか?」
「へえ、旦那さま、あんなこっで気が違うてなぁ割に合わねえこっでがすよ。――ウィル旦那はなんともねえって言ってるが、――そんならなんだって、頭を下げて、肩をつっ立って、幽霊みてえに真っ蒼になって、こんな格好をして歩きまわるだかね? それにまた、しょっちゅう計算してるんで――」
「なにをしているって? ジュピター」
「石盤に数字を書いて計算してるんでがす、――わっしのいままで見たことのねえ変てこな数字でさ。ほんとに、わっしはおっかなくなってきましただ。旦那のすることにゃあしっかり眼を配ってなけりゃなんねえ。こねえだも、夜の明けねえうちにわっしをまいて、その日
「え? ――なんだって? ――うん、そうか! ――まあまあ、そんなかわいそうな者にはあんまり手荒なことをしないほうがいいと思うな。――
「いいや、旦那さま、あれからあとにゃあなんにも面白くねえことってごぜえません。――そりゃああれより前のこったとわっしは思うんでがす。――あんたさまがいらっしゃったあの日のことで」
「どうして? なんのことだい?」
「なあに、旦那さま、あの虫のこっでがすよ、――それ」
「あの何だって?」
「あの虫で。――きっと、ウィル旦那はあの黄金虫に頭のどっかを
「と思うような理由があるのかね? ジュピター」
「
「じゃあ、お前は旦那がほんとうにその甲虫に咬まれて、それで病気になったのだと思うんだな?」
「そう思うんじゃごぜえません、――そうと知ってるんでがす。あの黄金虫に咬まれたんでなけりゃあ、どうしてあんなにしょっちゅう
「しかし、どうして旦那が黄金の夢をみているということがお前にわかるかね?」
「どうしてわかるって? そりゃあ、寝言にまでそのことを言ってなさるからでさ、――それでわかるんでがす」
「なるほど、ジャップ。たぶんお前の言うとおりかもしれん。だが、きょうお前がここへご
「なんでごぜえます? 旦那さま」
「お前はルグラン君からなにか
「いいや、旦那さま、この手紙を持ってめえりましただ」と言ってジュピターは次のような一通の手紙を私に渡した。
「拝啓。どうして君はこんなに長く訪ねに来てくれないのか? 僕のちょっとした無愛想 などに腹を立てるような馬鹿な君ではないと思う。いや、そんなことはあるはずがない。
この前君に会ってから、僕には大きな心配事ができている。君に話したいことがあるのだが、それをどんなぐあいに話していいか、あるいはまた話すべきかどうかも、わかり兼ねるのだ。
僕はこの数日来あまりぐあいがよくなかったが、ジャップめは好意のおせっかいからまるで耐えがたいくらいに僕を悩ませる。君は信じてくれるだろうか? ――彼は先日、大きな棒を用意して、そいつで、僕が彼をまいて一人で本土の山中にその日を過したのを懲 らそうとするのだ。僕が病気のような顔つきをしていたばかりにその折檻をまぬかれたのだと、僕はほんとうに信じている。
この前お目にかかって以来、僕の標本棚 にはなんら加うるところがない。
もしなんとかご都合がついたら、ジュピターと同道にて来てくれたまえ。ぜひ来てくれたまえ。重大な用件について、今晩お目にかかりたい。もっとも重大な用件であることを断言する。
この前君に会ってから、僕には大きな心配事ができている。君に話したいことがあるのだが、それをどんなぐあいに話していいか、あるいはまた話すべきかどうかも、わかり兼ねるのだ。
僕はこの数日来あまりぐあいがよくなかったが、ジャップめは好意のおせっかいからまるで耐えがたいくらいに僕を悩ませる。君は信じてくれるだろうか? ――彼は先日、大きな棒を用意して、そいつで、僕が彼をまいて一人で本土の山中にその日を過したのを
この前お目にかかって以来、僕の
もしなんとかご都合がついたら、ジュピターと同道にて来てくれたまえ。ぜひ来てくれたまえ。重大な用件について、今晩お目にかかりたい。もっとも重大な用件であることを断言する。
敬具
ウィリアム・ルグラン」
この手紙の調子にはどこか私に非常な不安を与えるものがあった。全体の書きぶりがいつものルグランのとはよほど違っている。いったい彼はなにを夢想しているのだろう? どんな変な考えが新たに彼の興奮しやすい頭にとっついたのだろう? どんな「もっとも重大な用件」を彼が処理しなければならんというのだろう? ジュピターの話の様子ではどうもあまりいいことではなさそうだ。私はたび重なる不運のためにとうとう彼がまったく気が狂ったのではなかろうかと恐れた。だから、一刻もぐずぐずしないで、その黒人と同行する用意をした。
波止場へ着くと、一
「これはみんなどうしたんだい? ジャップ」と私は尋ねた。
「うちの
「そりゃあそうだろう。が、どうしてここにあるんだね?」
「ウィル旦那がこの鎌と鋤を町へ行って買って来いってきかねえんでがす。眼の玉がとび出るほどお
「しかし、いったいぜんたい、お前のところの『ウィル旦那』は鎌や鋤なんぞをどうしようというのかね?」
「そりゃあわっしにゃあわからねえこっでさ。また、うちの旦那にだってやっぱしわかりっこねえにちげえねえ。だけど、なんもかもみんなあの虫のせえでがすよ」
ジュピターは「あの虫」にすっかり自分の心を奪われているようなので、彼にはなにをきいても満足な答えを得られるはずがないということを知って、私はそれからボートに乗りこみ、出帆した。強い順風をうけて間もなくモールトリー
「もらったとも」彼は顔をさっと真っ赤にして答えた。「あの翌朝返してもらったんだ。もうどんなことがあろうと、あの甲虫を手放すものか。君、あれについてジュピターの言ったことはまったくほんとなんだぜ」
「どんな点がかね?」私は悲しい予感を心に感じながら尋ねた。
「あれをほんとうの黄金でできている虫だと想像した点がさ」彼はこの言葉を心から
「この虫が僕の身代をつくるのだ」と彼は勝ち誇ったような微笑を浮べながら言いつづけた。「僕の先祖からの財産を取り返してくれるのだ。とすると、僕があれを大切にするのも決して不思議じゃあるまい? 運命の神があれを僕に授けようと考えたからには、僕はただそれを適当に用いさえすればいいのだ。そうすればあれが手引きとなって僕は黄金のところへ着くだろうよ。ジュピター、あの甲虫を持ってきてくれ!」
「えっ! あの虫でがすか? 旦那。わっしはあの虫に手出ししたかあごぜえません、――ご自分で取りにいらっせえ」そこでルグランは真面目な重々しい様子で立ち上がり、甲虫の入れてあるガラス箱からそれを持ってきてくれた。それは美しい甲虫で、またその当時には博物学者にも知られていないもので、――むろん、科学的の見地から見て大した掘出し物だった。背の一方の端近くには円い、黒い点が二つあり、もう一方の端近くには長いのが一つある。甲は非常に堅く、つやつやしていて、見たところはまったく
「君を迎えにやったのはね」と彼は、私がその甲虫を調べてしまったとき、大げさな調子で言った。「君を迎えにやったのは、運命の神とこの甲虫との考えを成功させるのに、君の助言と助力とを願いたいと思って――」
「ねえ、ルグラン君」私は彼の言葉をさえぎって大声で言った。「君はたしかにぐあいがよくない。だから少し用心したほうがいいよ。寝たまえ。よくなるまで、僕は二、三日ここにいるから。君は熱があるし――」
「脈をみたまえ」と彼は言った。
私は脈をとってみたが、実のところ、熱のありそうな様子はちっともなかった。
「しかし熱はなくても病気かもしれないよ。まあ、今度だけは僕の言うとおりにしてくれたまえ。第一に寝るのだ。次には――」
「君は思い違いをしている」と彼は言葉をはさんだ。「僕はいま
「というと、どうすればいいんだい?」
「わけのないことさ。ジュピターと僕とはこれから本土の山のなかへ探検に行くんだが、この探検には誰か信頼できる人の助けがいる。君は僕たちの信用できるただ一人なのだ。成功しても失敗しても、君のいま見ている僕の興奮は、とにかく
「なんとかして君のお役に立ちたいと思う」と私は答えた。「だが、君はこのべらぼうな甲虫が君の探検となにか関係があるとでも言うのかい?」
「あるよ」
「じゃあ、ルグラン、僕はそんなばかげた仕事の仲間入りはできない」
「それは残念だ、――実に残念だ。――じゃあ僕ら二人だけでやらなくちゃあならない」
「君ら二人だけでやるって! この男はたしかに気が違っているぞ! ――だが待ちたまえ、――君はどのくらいのあいだ留守にするつもりなんだ?」
「たぶん一晩じゅうだ。僕たちはいまからすぐ出発して、ともかく日の出ごろには戻って来られるだろう」
「では君は、この君の酔狂がすんでしまって、甲虫一件がだ(ちぇっ!)、君の満足するように落着したら、そのときは家へ帰って、医者の勧告と同じに僕の勧告に絶対にしたがう、ってことを、きっと僕に約束するかね?」
「うん、約束する。じゃあ、すぐ出かけよう。一刻もぐずぐずしちゃあおられないんだから」
気が進まぬながら私は友に同行した。我々は四時ごろに出発した、――ルグランと、ジュピターと、犬と、私とだ。ジュピターは大鎌と鋤とを持っていたが、――それをみんな自分で持って行くと言い張って
我々は島のはずれの小川を小舟で渡り、それから本土の海岸の高地を登って、人の通らない非常に荒れはてた寂しい地域を、北西の方向へと進んだ。ルグランは決然として先頭に立ってゆき、ただ自分が前に来たときにつけておいた目標らしいものを調べるために、ところどころでほんのちょっとのあいだ立ち止るだけだった。
こんなふうにして我々は約二時間ほど歩き、ちょうど太陽が沈みかけたときに、いままでに見たどこよりもずっともの凄い地帯へ入ったのであった。そこは一種の高原で、ほとんど登ることのできない山の頂上近くにあった。その山は
我々のよじ登ったこの天然の高台には
「ええ、旦那、ジャップの見た木で登れねえってえのはごぜえません」
「そんならできるだけ早く登ってくれ。じきに暗くなって、やることが見えなくなるだろうから」
「どこまで登るんですか? 旦那」とジュピターが尋ねた。
「まず大きい幹を登るんだ。そうすれば、どっちへ行くのか言ってやるから。――おい、――ちょっと待て! この甲虫を持ってゆくんだ」
「虫でがすかい! ウィル旦那。――あの黄金虫でがすかい!」とその黒人は恐ろしがって
「ジャップ、お前が、お前みたいな大きな丈夫な黒んぼが、なにもしない、小さな、死んだ甲虫を持つのが怖いんならばだ、まあ、この
「なんでごぜえます? 旦那」ジャップはいかにも恥ずかしがって承知しながら、言った。「しょっちゅう年寄りの黒んぼを相手に
アメリカの森林樹のなかでもっとも荘厳なゆりの木、つまり Liriodendron Tulipiferum((訳注「ゆりの木」の学名))は、若木のときには、幹が奇妙になめらかで、横枝を出さずにしばしば非常な高さにまで生長する。しかし、年をとるにつれて、樹皮が
「今度はどっちへ行くんでがす? ウィル旦那」と彼は尋ねた。
「やっぱりいちばん大きな枝を登るんだ、――こっち側のだぞ」とルグランが言った。黒人はすぐその言葉にしたがって、なんの苦もなさそうに、だんだん高く登ってゆき、とうとう彼のずんぐりした姿は、そのまわりの茂った樹の葉のあいだから少しも見えなくなってしまった。やがて彼の声が、遠くから呼びかけるように聞えてきた。
「まだどのくれえ登るんでがすかい?」
「どれくらい登ったんだ?」とルグランがきいた。
「ずいぶん高うがす」と黒人が答えた。「木のてっぺんの
「空なんかどうでもいい。がおれの言うことをよく聞けよ。幹の下の方を見て、こっち側のお前の下の枝を勘定してみろ。いくつ枝を越したか?」
「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、――五つ越しましただ、旦那、こっち側ので」
「じゃあもう一つ枝を登れ」
しばらくたつとまた声が聞えて、七本目の枝へ着いたと知らせた。
「さあ、ジャップ」とルグランは、明らかに非常に興奮して、叫んだ。「その枝をできるだけ先の方まで行ってくれ。なにか変ったものがあったら、知らせるんだぞ」
このころには、哀れな友の発狂について私のいだいていたかすかな疑いも、とうとうまったくなくなってしまった。彼は気がふれているのだと断定するよりほかなかった。そして彼を家へ連れもどすことについて、本気に気をもむようになった。どうしたらいちばんいいだろうかと思案しているうちに、ジュピターの声が聞えてきた。
「この枝をうんと先の方までゆくのは、おっかねえこっでがす。ずっと
「枯枝だと言うのかい? ジュピター」とルグランは震え声で叫んだ。
「ええ、旦那、枯れきってまさ、――たしかに
「こいつあいったい、どうしたらいいだろうなあ?」とルグランは、いかにも困りきったらしく、言った。
「どうするって!」と私は、口を出すきっかけができたのを喜びながら、言った。「うちへ帰って寝るのさ。さあさあ! ――そのほうが利口だ。遅くもなるし、それに、君はあの約束を覚えてるだろう」
「ジュピター」と彼は、私の言うことには少しも気をとめないで、どなった。「おれの言うことが聞えるか?」
「ええ、ウィル
「じゃあ、お前のナイフで木をよっくためして、ひどく腐ってるかどうか見ろ」
「腐ってますだ、旦那、やっぱし」としばらくたってから黒人が答えた。「だけど、そんなにひどく腐ってもいねえ。わっしだけなら、枝のもう少し先まで行けそうでがすよ、きっと」
「お前だけならって! そりゃあどういうことなんだ?」
「なあに、虫のこっでがすよ。とっても重てえ虫でさ。こいつを先に落せば、黒んぼ一人ぐれえの重さだけにゃあ、枝は折れますめえ」
「このいまいましい
「聞えますだ、旦那。かわいそうな黒んぼにそんなふうにどならなくてもようがすよ」
「よしよし! じゃあよく聞け! ――もしお前が、その甲虫を放さないで、危なくないと思うところまでその枝をずっと先の方へ行くなら、降りて来たらすぐ、一ドル銀貨をくれてやるぞ」
「いま行ってるところでがす、ウィル旦那、――ほんとに」と黒人はすばやく答えた。――「もうおおかた端っこのとこでさ」
「端っこのところだって!」と、そのときルグランはまったく金切り声をたてた。「お前はその枝の端っこのところまで行ったと言うのか?」
「もうじき端っこでがすよ。旦那。――わあ! おったまげただ! 木の上のここんとこにあるのあなんだろう?」
「よしよし!」ルグランは非常に喜んで叫んだ。「そりゃあなんだ?」
「なあに、
「髑髏だと言ったな! ――上等上等! ――それはどうして枝に結びつけてあるかい? ――なんでとめてあるかい?」
「なるほど、旦那。見やしょう。やあ、こりゃあたしかになんと不思議なこった。――髑髏のなかにゃでっけえ
「よし、ジュピター、おれの言うとおりにするんだぞ。――わかるか?」
「ええ、旦那」
「じゃあ、よく気をつけろ! ――髑髏の左の
「ふうん! へえ! ようがす! ええっと、眼なんてちっとも残っていねえんでがすが」
「このまぬけめが! お前は自分の右の手と左の手の区別を知ってるか?」
「ええ、そりゃあ知ってますだ、――よく知ってますだ、――わしが
「なるほど! お前は左ききだっけな。で、お前の左の眼は、お前の左の手と同じ方にあるんだぞ。とすると、お前にゃあ髑髏の左の眼が、というのはもと左の眼のあったところだが、わかるだろう。見つけたか?」
ここで長い合間があった。とうとう黒人が尋ねた。
「髑髏の左の眼もやっぱり髑髏の左の手と同じ側にあるんでがすかい? ――でも髑髏にゃあ手なんてちっともねえだ。――なあに、かまわねえ! いま、左の眼を見つけましただ。――ここが左の眼だ! これをどうするんでがすかい?」
「そこから
「すっかりやりましただ、ウィル旦那。この穴から虫を通すなあわけのねえこっでさあ。――下から見てくだせえ!」
この会話のあいだじゅう、ジュピターの体は少しも見えなかった。が、彼のおろした甲虫は、いま、紐の端に見えてきて、我々の立っている高台をまだほのかに照らしている落陽の名残の光のなかに、
ちょうどその甲虫の落ちた地点に、すこぶる精確に
実を言うと、私はもともとこんな道楽には特別の趣味を持っていなかったし、ことにそのときには進んで断わりたかったのだ。というのは、だんだん夜は迫って来るし、それにこれまでの運動でずいぶん疲れてもいたから。しかし、のがれる方法もなかったし、また拒絶してかわいそうな友の心の平静をみだしたりすることを恐れた。もしジュピターの助けをほんとに頼りにできるなら、私はさっそくこの狂人を無理にも連れて帰ろうとしたろう。だが、その年寄りの黒人の性質を十分にのみこんでいるので、私が彼の主人と争うようなときには、どんな場合にしろ、私に味方をしてくれようとは望めないのであった。私は、ルグランが
角灯に火をつけて、我々一同は、こんなことよりはもっとわけのわかった事がらにふさわしいような熱心さをもって仕事にとりかかった。そして、火影が我々の体や道具を照らしたとき、私は、我々がどんなに絵のような一群をなしているだろう、また、偶然に我々のいるところを通りかかる人があったら、その人には我々のやっていることがどんなにか奇妙にも、おかしくも見えるにちがいない、ということを考えないではいられなかった。
二時間のあいだ我々は
その二時間がたってしまうと、我々は五フィートの深さに達したけれども、やはり宝などのあらわれて来そうな様子もなかった。一同はそれからちょっと休んだ。そして私はこの茶番狂言もいよいよおしまいになればいいがと思いはじめた。しかしルグランは、明らかにひどく面くらってはいたけれど、もの思わしげに額をぬぐうと、またふたたび鋤を取りはじめた。それまでに我々は直径四フィートの全円を掘ってしまっていたのだが、今度は少しその範囲を大きくし、さらに二フィートだけ深く掘った。それでもやはりなにもあらわれて来なかった。あの黄金探索者は、私は心から彼を気の毒に思ったが、とうとう、顔一面にはげしい失望の色を浮べながら穴から這い上がり、仕事を始めるときに脱ぎすてておいた
その方向へたしか十歩ばかり歩いたとき、ルグランは大きな
「この野郎!」ルグランは食いしばった歯のあいだから一こと一ことを吐き出すように言った。――「このいまいましい黒んぼの悪党め! ――さあ、言え! ――おれの言うことにいますぐ返事をしろ、ごまかさずに! ――どっちが――どっちがお前の左の眼だ?」
「ひぇっ! ご免くだせえ、ウィル旦那。こっちがたしかにわっしの左の眼でがしょう?」とどぎもを抜かれたジュピターは、自分の右の眼に手をあてて、主人がいまにもそれをえぐり取りはしないかと恐れるように、必死になってその眼をおさえながら、叫んだ。
「そうだろうと思った! ――おれにゃあわかっていたんだ! しめたぞ!」とルグランはわめくと、黒人を突きはなして、つづけざまに跳び上がったりくるくるまわったりしたので、下男はびっくり仰天して、立ち上がりながら、無言のまま主人から私を、また私から主人をと
「さあ! あともどりだ」とルグランは言った。「まだ勝負はつかないんだ」そして彼はふたたび先に立って、あのゆりの木の方へ行った。
「ジュピター」と、我々がその木の根もとのところへ来ると、彼は言った。「ここへ来い! 髑髏は顔を外にして枝に打ちつけてあったか、それとも顔を枝の方へ向けてあったか?」
「顔は外へ向いていましただ、旦那。だから鴉は造作なく眼を突っつくことができたんでがす」
「よし。じゃあ、お前が甲虫を落したのは、こっちの眼からか、それともそっちの眼からか?」――と言いながら、ルグランは、ジュピターの両方の眼に一つ一つ触ってみせた。
「こっちの眼でがす、旦那。――左の眼で、あんたさまのおっしゃったとおりに」と言って黒人の指したのは彼の右の眼だった。
「それでよし。――もう一度やり直しだ」
こうなると、私は友の狂気のなかにもなにかある方法らしいもののあることがわかった。あるいは、わかったような気がした。彼は甲虫の落ちた地点を標示する例の杭を、もとの位置から三インチばかり西の方へ移した。それから、前のように巻尺を幹のいちばん近い点から杭までひっぱり、それをさらに一直線に五十フィートの距離までのばして、さっき掘った地点から数ヤード離れた場所に目標を立てた。
その新しい位置の周囲に、前のよりはいくらか大きい円を描き、ふたたび我々は鋤を持って仕事にとりかかった。私はおそろしく疲れていた。が、なにがそういう変化を自分の気持に起させたのかちっともわからなかったけれど、もう課せられた労働が大して
これを見ると、ジュピターの喜びはほとんど抑えきれぬくらいだった。が、彼の主人の顔はひどい失望の色を帯びた。しかし、彼はもっと努力をつづけてくれと我々を励ましたが、その言葉が言い終るか終らぬうちに、私はつまずいてのめった。自分の
我々はいまや一所懸命に掘った。そして私はかつてこれ以上に強烈な興奮の十分間を過したことがない。その十分間に、我々は一つの長方形の木製の大箱をすっかり掘り出したのだ。この箱は、それが完全に保存されていることや、驚くべき
それを眺めたときの心持を私は書きしるそうとはしまい。驚きが主だったことは言うまでもない。ルグランは興奮のあまりへとへとになっているようで、ほとんど口もきかなかった。ジュピターの顔はちょっとのあいだ黒人の顔としてはこれ以上にはなれないほど、死人のように
「で、こりゃあみんなあの黄金虫からなんだ! あのきれいな黄金虫! わっしがあんなに乱暴に悪口言った、かわいそうなちっちぇえ黄金虫からなんだ! お
とうとう、私は主従の二人をうながして財宝を運ぶようにさせなければならなくなった。夜はだんだん
一同はもうすっかりへたばっていた。が、はげしい興奮が我々を休息させなかった。三、四時間ばかりうとうとと眠ると、我々は、まるで申し合せてでもあったように、財宝を調べようと起き上がった。
箱は縁のところまでいっぱいになっていて、その内容を吟味するのに、その日一日と、その夜の大部分がかかった。秩序とか排列とかいったようなものは少しもなかった。なにもかも雑然と積み重ねてあった。すべてを念入りに
いよいよ調べが終って、はげしい興奮がいくらか
「君は覚えているだろう」と彼は言った。「僕が
「あの紙の切れっぱしのことだろう」と私が言った。
「いいや。あれは見たところでは紙によく似ていて、最初は僕もそうかと思ったが、絵を描いてみると、ごく薄い羊皮紙だということにすぐ気がついたよ。覚えているだろう、ずいぶんよごれていたね。ところで、あれをちょうど皺くちゃにしようとしていたとき、君の見ていたあの絵がちらりと僕の眼にとまったのさ。で、自分が甲虫の絵を描いておいたと思ったちょうどその場所に、事実、髑髏の図を認めたときの僕の驚きは、君にも想像できるだろう。ちょっとのあいだ、僕はあんまりびっくりしたので、正確にものを考えることができなかった。僕は、自分の描いた絵が、大体の輪郭には似ているところはあったけれども――細かい点ではそれとはたいへん違っていることを知った。やがて蝋燭を取って、部屋の向う
君が帰ってゆき、ジュピターがぐっすり眠ってしまうと、僕はその事がらをもっと順序立てて研究することに着手した。まず第一に、羊皮紙がどうして自分の手に入ったかということを考えてみた。僕たちがあの甲虫を発見した場所は、島の東の方一マイルばかりの本土の海岸で、満潮点のほんの少し上のところだった。僕がつかまえると、強く
さて、ジュピターがその羊皮紙を拾い上げ、甲虫をそのなかに包んで、僕に渡してくれた。それから間もなく僕たちは家へ帰りかけたが、その途中でG――
僕が甲虫の絵を描こうと思って、テーブルのところへ行ったとき、いつも置いてあるところに紙が一枚もなかったことを、君は覚えているね。引出しのなかを見たが、そこにもなかった。古手紙でもないかと思ってポケットを捜すと、そのとき、手があの羊皮紙に触れたのだ。あれが僕の手に入った正確な経路をこんなに詳しく話すのは、その事情がとくに強い印象を僕に与えたからなんだよ。
きっと君は僕が空想を駆りたてているのだと思うだろう、――が、僕はもうとっくに連絡を立ててしまっていたのだ。大きな鎖の二つの輪を結びつけてしまったのだ。海岸にボートが横たわっていて、そのボートから遠くないところに頭蓋骨の描いてある羊皮紙――紙ではなくて――があったんだぜ。君はもちろん、『どこに連絡があるのだ?』と問うだろう。僕は、頭蓋骨、つまり髑髏は誰でも知っているとおり海賊の
僕は、その切れっぱしが羊皮紙であって、紙ではないと言ったね。羊皮紙は持ちのいいもので――ほとんど不滅だ。ただ普通絵を描いたり字を書いたりするには、とても紙ほど適していないから、大して重要ではない事がらはめったに羊皮紙には書かない。こう考えると、髑髏になにか意味が――なにか適切さが――あることに思いついた。僕はまたその羊皮紙の形にも十分注意した。一つの隅だけがなにかのはずみでちぎれてしまっていたけれど、もとの形が長方形であることはわかった。実際、それはちょうど控書として――なにか長く記憶し大切に保存すべきことを書きしるすものとして――選ばれそうなものなんだ」
「しかしだね」と私が言葉をはさんだ。「君は、甲虫の絵を描いたときにはその頭蓋骨は羊皮紙の上になかったと言う。とすると、どうしてボートと頭蓋骨のあいだに連絡をつけるんだい? ――その頭蓋骨のほうは、君自身の認めるところによれば、(どうして、また誰によって、描かれたか、ということはわからんが)君が甲虫を描いたのちに描かれたにちがいないんだからねえ」
「ああ、そこに全体の神秘がかかっているんだよ。もっとも、この点では、その秘密を解決するのは僕には比較的むずかしくはなかったがね。僕のやり方は確実で、ただ一つの結論しか出てこないのだ。たとえば、僕はこんなふうに推理していったんだ。僕が甲虫を描いたときには頭蓋骨は少しも羊皮紙にあらわれていなかった。絵を描きあげると僕はそれを君に渡し、君が返すまでじっと君を見ていた。だから君があの頭蓋骨を描いたんじゃないし、またほかにそれを描くような者は誰も居合わさなかった。してみると、それは人間業で描かれたんじゃない。それにもかかわらず描いてあったんだ。
ここまで考えてくると、僕はそのときの前後に起ったあらゆる出来事を、十分はっきり思い出そうと努め、また実際思い出したのだ。気候のひえびえする日で(ほんとに珍しいことだった!)炉には火がさかんに燃えていた。僕は歩いてきたので体がほてっていたから、テーブルのそばに腰かけていた。だが君は

僕はそこで今度はその髑髏をよくよく調べてみた。と、外側の端のほう――皮紙の端にいちばん近い絵の端のほう――は、ほかのところよりはよほどはっきりしている。火気の作用が不完全または不平等だったことは明らかだ。僕はすぐ火を
「は、は、は!」私は言った。「たしかに僕には君を笑う権利はないが、――百五十万という金は笑いごとにしちゃああんまり重大だからねえ、――だが君は、君の鎖の第三の輪をこさえようとしているんじゃあるまいね。海賊と山羊とのあいだにはなにも特別の関係なんかないだろう。海賊は、ご承知のとおり、山羊なんかには縁はないからな。山羊ならお百姓さんの畑だよ」
「しかし僕はいま、その絵は山羊じゃないと言ったぜ」
「うん、そんなら
「ほとんどね。だが、まったく同じものじゃない」とルグランが言った。「君はキッド船長という男の話を聞いたことがあるだろう。僕はすぐこの動物の絵を、
「君は印章と署名とのあいだに手紙でも見つかると思ったんだろう」
「まあ、そういったようなことさ。実を言うと、僕はなにかしらすばらしい好運が向いてきそうな予感がしてならなかったんだ。なぜかってことはほとんど言えないがね。つまり、たぶん、それは実際の信念というよりは願望だったのだろう。――だが、あの虫を純金だと言ったジュピターのばかげた言葉が僕の空想に強い影響を及ぼしたんだよ。それからまた、つぎつぎに起った偶然の出来事と暗合、――そういうものがまったく実に不思議だった。一年じゅうで火の要るほど寒い日はその日だけと、あるいはその日だけかもしれんと、思われるその日に、ああいう出来事が起ったということ、また、その火がなかったら、あるいはちょうどあの瞬間に犬が入って来なかったなら、僕が決して髑髏に気がつきはしなかったろうし、したがって宝を手に入れることもできなかったろうということは、ほんとに、ほんの偶然のことじゃないか?」
「だが先を話したまえ、――じれったくてたまらないよ」
「よしよし。君はもちろん、あの世間にひろまっているたくさんの話――キッド(12)とその一味の者が大西洋のどこかの海岸に金を埋めたという、あの無数の
「いいや」
「しかしキッドの蓄えた財宝が
「だがそれからどうしたんだい?」
「僕は火力を強くしてから、ふたたびその皮紙を火にあててみた。が、なにもあらわれなかった。そこで今度は、
こう言って、ルグランは羊皮紙をまた熱して、私にそれを調べさせた。髑髏と山羊とのあいだに、赤い色で、次のような記号が乱雑に出ている。――
53‡‡†305))6*;4826)4‡.)4‡);806*;48†8¶60))85;1‡(;:‡*8†83(88)5*†;46(;88*96*?;8)*‡(;485);5*†2:*‡(;4956*2(5*―4)8¶8*;4069285);)6†8)4‡‡;1(‡9;48081;8:8‡1;48†85;4)485†528806*81(‡9;48;(88;4(‡?34;48)4‡;161;:188;‡?;(13)
「しかし」と私は紙片を彼に返しながら言った。「僕にゃあやっぱり、まるでわからないな。この
「でもね」とルグランが言った。「これを解くことは、決してむずかしくはないんだよ。君がこの記号を最初にざっと見て想像するほどにはね。誰でもたやすくわかるだろうが、この記号は暗号をなしているのだ。――つまり、意味を持っているのだ。しかし、キッドについて知られていることから考えると、彼にそう大して難解な暗号文を組み立てる能力などがあろうとは僕には思えなかった。僕はすぐ、これは単純な種類のもの――だが、あの船乗りの頭には、
「で君はほんとうにそれを解いたんだね?」
「わけなしにさ。僕はいままでにこの一万倍もむずかしいのを解いたことがある。境遇と、頭脳のある性向とが、僕をそういう謎に興味をもたせるようにしたのだ。人間の知恵を適切に働かしても解けないような謎を、人間の知恵が組み立てることができるかどうかということは、大いに疑わしいな。事実、連続した読みやすい記号が、一度それとわかってしまえば、その意味を展開する困難などは、僕はなんとも思わなかった。
いまの場合では――秘密文書の場合では実際すべてそうだが――第一の問題は暗号の国語が何語かということなんだ。なぜなら、解釈の原則は、ことに簡単な暗号となると、ある特定の国語の特質によるのであるし、またそれによって変りもするんだからね。一般に、どの国語かがわかるまでは、解釈を試みる人の知っているあらゆる国語を(
ごらんのとおり、語と語とのあいだにはなんの句切りもない。句切りがあったら、仕事は比較的やさしかったろう。そういう場合には、初めに短い言葉を対照し、分析する。そしてもし、よくあるように、一字の語(たとえばaとか、Iとかいう語だね)が見つかったら、解釈はまずできたと思っていいのだ。しかし、句切りが少しもないので、僕の最初にとるべき手段は、いちばん多く出ている字と、いちばん少ししか出ていない字とを、つきとめることだった。で、すっかり数えて、僕はこういう表を作った。
8 という記号は 三十三 ある
; 〃 二十六
4 〃 十九
‡) 〃 十六
* 〃 十三
5 〃 十二
6 〃 十一
†1 〃 八
0 〃 六
92 〃 五
:3 〃 四
? 〃 三
¶ 〃 二
― 〃 一
; 〃 二十六
4 〃 十九
‡) 〃 十六
* 〃 十三
5 〃 十二
6 〃 十一
†1 〃 八
0 〃 六
92 〃 五
:3 〃 四
? 〃 三
¶ 〃 二
― 〃 一
さて、英語でもっともしばしば出てくる字はeだ。それからaoidhnrstuycfglmwbkpqxzという順序になっている。しかしeは非常に多いので、どんな長さの文章でも、一つの文章にeがいちばんたくさん出ていないということは、めったにないのだ。
とすると、ここで、僕たちはまず手初めに、単なる憶測以上のあるものの基礎を得たことになるね。表というものが、一般に有益なものであるということは明白だ、――が、この暗号にかぎっては、僕たちはほんのわずかしかその助けを要しない。いちばん多い記号は8だから、まずそれを普通のアルファベットのeと仮定して始めることにしよう。この推定を証拠だててみるために、8が二つ続いているかどうかを見ようじゃないか。――なぜかというと、英語ではeが二つつづくことがかなりの頻度であるからだ、――たとえば、‘meet’‘fleet’‘speed’‘seen’‘been’‘agree’などのようにね。僕たちの暗号の場合では、暗号文が短いにもかかわらずそれが五度までも重なっているよ。
そこで、8をeと仮定してみよう。さて、英語のすべての語のなかで、いちばんありふれた語は、‘the’だ。だから、最後が8になっていて、同じ配置の順序になっている三つの記号が、たびたび出ていないかどうかを見よう。そんなふうに並んだ、そういう文字がたびたび出ていたら、それはたぶん、‘the’という語をあらわすものだろう。調べてみると、そういう排列が七カ所もあって、その記号というのは ;48 だ。だから、;はtをあらわし、4はhをあらわし、8はeをあらわしていると仮定してもよかろう。――この最後の記号はいまではまず十分確証された。こうして一歩大きく踏み出したのだ。
しかも、一つの語が決ったので、たいへん重要な一点を決めることができるわけだ。つまり、他の語の初めと終りとをいくつか決められるのだね。たとえば暗号のおしまい近くの――最後から二番目の ;48 という組合せのあるところを見よう。と、そのすぐ次にくる;が語の初めであることがわかる。そうして、この‘the’の後にある六つの記号のうち、僕たちは五つまで知っているのだ。そこで、わからないところは空けておいて、その五つの記号をわかっている文字に書きかえてみようじゃないか。――
t eeth
ここで、この‘th’が、この初めのtで始まる語の一部分をなさないものとして、すぐにこれをしりぞけることができる。というわけは、この空いているところへ当てはまる文字としてアルファベットを一つ残らず調べてみても、th がその一部分となるような語ができないことがわかるからなんだ。こうして僕たちはt ee
に局限され、そして、もし必要ならば前のようにアルファベットを一つ一つあててみると、考えられるthe tree ;4(‡?34 the
つまり、わかっているところへ普通の文字を置きかえると、こうなる。the tree thr ‡?3 h the
さて、未知の記号のかわりに、空白を残すか、または点を打てば、こうなるだろう。the tree thr・・・h the
すると‘through’という言葉がすぐに明らかになってくるが、この発見は、‡、?、3であらわされているo、u、gという三つの文字を僕たちに与えてくれるのだ。それから既知の記号の組合せがないかと暗号を念入りに捜してゆくと、初めのほうからあまり遠くないところに、こんな排列が見つかる。
83(88 すなわち egree
これは明白に‘degree’という語の終りで、†であらわしてあるdという文字がまた一つわかるのだ。この、‘degree’という語の四つ先に
;46(;88*
という組合せがある。既知の記号を翻訳し、未知のを前のように点であらわすと、こうなるね。
th・rtee・
この排列はすぐ‘thirteen’という言葉を思いつかせ、6、*であらわしてあるi、nという二つの新しい文字をまた教えてくれる。今度は、暗号文の初めを見ると、
53‡‡†
という組合せがあるね。前のように翻訳すると、
・good
となるが、これは最初の文字がAで、初めの二つの語が‘A good’であることを確信させるものだ。混乱を避けるために、もういまでは、わかっただけの鍵を表の形式にして整えたほうがいいだろう。それはこうなる。
5 は a を表わす
† 〃 d
8 〃 e
3 〃 g
4 〃 h
6 〃 i
* 〃 n
‡ 〃 o
( 〃 r
: 〃 t
? 〃 u
だから、これでもっとも重要な文字が十一(16)もわかったわけで、これ以上解き方の詳しいことをつづけて話す必要はないだろう。僕は、この種の暗号の造作なく解けるものであることを君に納得させ、またその展開の理論的根拠にたいする多少の† 〃 d
8 〃 e
3 〃 g
4 〃 h
6 〃 i
* 〃 n
‡ 〃 o
( 〃 r
: 〃 t
? 〃 u
‘A good glass in the bishop's hostel in the devil's seat forty-one degrees and thirteen minutes northeast and by north main branch seventh limb east side shoot from the left eye of the death's-head a bee-line from the tree through the shot fifty feet out.’
(『僧正の
「だが」と私は言った。「謎は依然として前と同じくらい
「そりゃあね」とルグランが答えた。「ちょっと見たときには、まだ問題は容易ならぬものに見えるさ。まず僕の努力したことは、暗号を書いた人間の考えたとおりの自然な区分に、文章を分けることだった」
「というと、
「そういったようなことさ」
「しかしどうしてそれができたんだい?」
「僕は、これを書いた者にとっては、解釈をもっとむずかしくするために言葉を区分なしにくっつけて書きつづけることが重要な点だったのだ、と考えた。ところで、あまり頭の鋭敏ではない人間がそういうことをやるときには、たいていは必ずやりすぎるものだ。文を書いてゆくうちに、当然句読点をつけなければならんような文意の切れるところへくると、そういう連中はとかく、その場所で普通より以上に記号をごちゃごちゃにつめて書きがちなものだよ。いまの場合、この書き物を調べてみるなら、君はそういうひどく込んでいるところが五カ所あることをたやすく眼にとめるだろう。このヒントにしたがって、僕はこんなふうに区分をしたんだ。
‘A good glass in the bishop's hostel in the devil's seat ―― forty-one degrees and thirteen minutes ―― northeast and by north ―― main branch seventh limb east side ―― shoot from the left eye of the death's-head ―― a bee-line from the tree through the shot fifty feet out.’
(『僧正の旅籠悪魔の腰掛けにて良き眼鏡――四十一度十三分――北東微北――東側第七の大枝――髑髏の左眼より射る――樹より弾を通して五十フィート外方に直距線』)」
「こういう区分をされても」と私は言った。「まだやっぱり僕にはわからないね」
「二、三日のあいだは僕にもわからなかったよ」とルグランが答えた。「そのあいだ、僕はサリヴァン島の付近に『
僕は骨折り賃は十分出すがと言うと、婆さんはしばらくためらったのち、その場所へ一緒に行ってくれることを承知した。大した困難もなくそこが見つかったので、それから婆さんを帰して、僕はその場所を調べはじめた。その『城』というのは
さんざんに考えこんでいるうちに、僕の眼はふと、自分の立っている頂上からたぶん一ヤードくらい下の岩の東の面にあるせまい出っ張りに落ちた。この出っ張りは約十八インチほど突き出ていて、幅は一フィート以上はなく、そのすぐ上の崖に
『良き眼鏡』というのが望遠鏡以外のものであるはずがないということは、僕にはわかっていた。船乗りは『眼鏡』という言葉をそれ以外の意味にはめったに使わないからね。そこで、僕は望遠鏡はここで用いるべきであるということ、ここがそれを用いるに少しの変更をも許さぬ定まった観察点であるということが、すぐにわかったのだ。また、『四十一度十三分』や『北東微北』という文句が眼鏡を照準する方向を示すものであることは、すぐに信じられた。こういう発見に大いに興奮して、急いで家へ帰り、望遠鏡を手に入れて、また岩のところへひき返した。
出っ張りのところへ降りると、一つのきまった姿勢でなければ席を取ることができないということがわかった。この事実は僕が前からもっていた考えをますます確かめてくれたのだ。それから眼鏡の使用にとりかかった。むろん、『四十一度十三分』というのは現視地平(17)の上の仰角を指しているものにちがいない。なぜなら、水平線上の方向は「北東微北」という言葉ではっきり示されているんだからね。この北東微北の方向を僕は懐中磁石ですぐに決めた。それから、眼鏡を大体の見当でできるだけ四十一度(18)の仰角に向けて、気をつけながらそれを上下に動かしていると、そのうちにはるか
これを発見すると、僕はすっかり喜びいさんで、
「なにもかもすべて、実にはっきりしているね」と私は言った。「また巧妙ではあるが、簡単で
「もちろん、その木の方位をよく見定めてから、家へ帰ったさ。だが、その『悪魔の腰掛け』を離れるとすぐ、例の円い隙間は見えなくなり、その後はどっちへ振り向いてもちらりとも見ることができなかったよ。この事件全体のなかで僕にいちばん巧妙だと思われるのは、この円く空いているところが、岩の面のせまい出っ張り以外のどんな視点からも見られない、という事実だね。(幾度もやってみて、それが事実だということを僕は確信してるんだ)
この『僧正の旅籠』へ探検に行ったときには、ジュピターも一緒についてきたが、あいつは、それまでの数週間、僕の態度のぼんやりしていることにちゃんと気がついていて、僕を一人ではおかぬようにとくに注意をしていた。だがその次の日、僕は非常に早く起きて、うまくあいつをまいて、例の木を捜しに山のなかへ行ったんだ。ずいぶん骨を折った末、そいつを見つけた。夜になって家へ帰ると、
「最初に掘ったときに」と私が言った。「君が場所をまちがえたのは、ジュピターがまぬけにも頭蓋骨の左の眼からではなくて右の眼から虫を落したためだったんだね」
「そのとおりさ。そのしくじりは『弾』のところに――つまり、木に近いほうの
「頭蓋骨を用いるという思いつき――頭蓋骨の眼から弾丸を落すという思いつき――は、海賊の旗からキッドが考えついたことだろうと、僕は思うね。きっと彼は、この気味のわるい
「あるいはそうかもしれん。だが僕は、常識ということが、詩的調和ということとまったく同じくらい、このことに関係があると考えずにはいられないんだ。あの『悪魔の腰掛け』から見えるためには、その物は、もし小さい物なら、どうしても白くなくちゃならん。ところで、どんな天候にさらされても、その白さを保ち、さらにその白さを増しもするものとしては、人間の頭蓋骨にかなうものはないからな(19)」
「しかし君の大げさなものの言いぶりや、
「いや、実を言うと、君が明らかに僕の正気を疑っているのが少し
「なるほど。わかったよ。ところで、僕にはもう一つだけ合点のゆかぬことがある。あの穴のなかにあった
「それは僕にだって君以上には答えられぬ問題だよ。しかし、あれを説明するのにたった一つだけもっともらしい方法があるようだな。――僕の言うような凶行があったと信ずるのは恐ろしいことだがね。キッドが――もしほんとうにキッドがこの宝を隠したのならだよ。僕はそうと信じて疑わないが――彼がそれを埋めるときに誰かに手伝ってもらったことは明らかだ。だが、その仕事のいちばん厄介なところがすんでしまうと、彼は自分の秘密に関係した者どもをみんな片づけてしまったほうが都合がいいと考えたんだろう。それには、たぶん、手伝人たちが穴のなかでせっせと働いている時に、
(1)“All in the Wrong”――イギリスの俳優で劇作家の Arthur Murphy(一七二七―一八〇五)の喜劇。一七六一年初演。一八三六年にニューヨークでも上演された。
(2)Huguenot ――十六、七世紀頃のフランスの新教徒。一六八五年にルイ十四世によってナント勅令が廃棄され、新教が禁止されると、多くの新教徒 がアメリカの植民地に移住した。
(3)New Orleans ――ミシシッピ河の海に注ぐあたりのルイジアナ州にある都会。
(4)Fort Moultrie ――チャールストン港の防御のために一七七六年に建てられ、まだ竣功 しないうちにアメリカ軍の William Moultrie(一七三一―一八〇五)大佐がここに立て籠 ってイギリス軍を防いだので、その名が付せられた。ポーは青年時代に軍隊にいたときしばらくこの要塞 に勤務していたことがある。
(5)Palmetto ――南カロライナ州は一名“Palmette State”と言われるほどだから、この棕櫚 がよほど多いのであろう。
(6)Jan Swammerdam(一六三七―八〇)――オランダの有名な博物学者。ことに昆虫 学者として、その蒐集 と著述とが知られている。
(7)ルグランが antenn
(触角)と言いかけたのを、ジュピターは tin(錫 )のことと思い違いをしたのであろう。ボードレールは“Calembour intraduisible”だと書いているが、日本語でもやはり訳されないことは同様である。
(触角)と言いかけたのを、ジュピターは tin((8)この「高い」loud という語は、ステッドマン・ウッドベリー版には「低い」low となっているが、ハリスン版、イングラム版、その他の諸版にはみな前者になっている。ボードレールの訳本もその意味に訳してある。ステッドマン版はこの語をグリズウォルド版に拠 ったのであろうか。しかし、ここでは前者をとることにして、意味がまったく反対になっている相違なので特に注をしておく。
(9)dark lantern ――光をさえぎる蓋 のついている角灯。
(10)guinea ――十七世紀後葉アフリカ西海岸のギニー地方に産する金で初めて鋳造された往時のイギリスの金貨。一八一三年以降は鋳造されなかったのだから、この物語の書かれた当時にもすでに、一般に流通していなかったのである。
(11)鉱物を溶解するときに炉床または坩堝 の底に沈澱 するもの。
(12)William Kidd(一六四五?―一七〇一)――十七世紀の末の有名な海賊。スコットランドに生れ、初め剛胆な船長として世に知られていたが、のち海上生活を退いてニューヨークに隠退中、その船舶操縦術の手腕を時の植民大臣 Earl of Bellamont に認められ、当時アメリカの沿岸およびインド洋に横行していた海賊を剿滅 せよとの命を受けて、一六九六年に“Adventure”号の船長としてイングランドのプリマス港から出帆し、ニューヨークへ行き、それからマダガスカル島へ航した。その後間もなく彼自身が海賊になったと噂 が立った。一六九九年にアメリカの海岸へ帰り、やがてボストンで逮捕されて部下と共にイングランドへ送られ、海賊を働いたことを否認したが、船員の一人を殺害した廉 で、九人の部下と共に絞刑 に処せられた。これより前、彼はニューヨークの東方ロング島の東にあるガーディナア島に一部分の財宝を埋めておいたが、それはのちに発掘された。その没収された財宝の総額は約一万四千ポンドに達するものであった。しかし、「キッド船長の宝」が大西洋のどこかの海岸にまだ埋められているという噂は、その後も永く世間に伝えられていた。
(13)この暗号文のうち一カ所は、ステッドマン・ウッドベリー版およびハリスン版が、他の諸版と異なっている。他の諸版の“forty-one degrees”に当る記号が“twenty-one degrees”になっているからである。(初めから四十四番目1‡(;:………………;)が8*;:………………)これは、のちに注18においてしるすような理由で、たぶん、作者自身が一八四五年出版の彼の『物語集』にのちの刊行の準備として自筆で推敲 の筆を加えたときに、書き直したものであろう。ステッドマン・ウッドベリー版、ハリスン版は、そのポーの自筆を加えたいわゆるロリマー・グレアム本を参照して、それに拠ったのである。しかし、ハリスン版の訂正個所はまちがっているし、またハリスン版、ステッドマン版ともにあとの記号の数のところが訂正暗号に合っていないので、この訳本ではあとのほうの数字を訂正したりすることは避けて、普通の諸版のもとの暗号を用いることにした。他の諸版にもそれぞれ小さな誤りがあるので、以下暗号に関するかぎり、諸版から妥当と思うところを取ることにする。
(14)Golconda ――インドの南部にある旧 い町。金剛石の市場として有名であった。
(15)Spanish main ――往時、南アメリカの北海岸のオリノコ河またはアマゾン河の口からパナマ海峡に至る一帯の地方や、カリブ海のこれに接した部分を、漠然 と指した名称。スペインと南アメリカとの航路に当り、昔さかんに海賊が出没した。
(16)この「十一」は、ステッドマン版、イングラム版、ハリスン版等の標準版にはみな前の行の「?〃u」を除いて「十」となっているが、これはたぶん作者自身の誤りであろう。「?〃u」を加えて「十一」となっている版もあるので、それにしたがう。
(17)実際に見得 べき水と空との分界線。
(18)この「四十一度」は、ハリスン版とステッドマン・ウッドベリー版では、すべて「二十一度」となっている。事実、「四十一度十三分の仰角」で見て、「はるか彼方 に」見える大木というのは、あまりに高過ぎて不自然、あるいはむしろ不合理であろう。しかしこの変更は注13で書いたように、暗号文の記号と共に、おそらく、ポーがのちの刊行本のための用意にときどき筆を加えておいたいわゆるロリマー・グレアム本の、自筆の書き入れに拠ったものらしく、まだ決定的な、あるいは完全な、訂正ではないので、この訳本ではすべてもとの「四十一度」にしておいた。
(19)以上の頭蓋骨云々 に関する二節の対話は、普通の諸版には全然ない。ボードレールの訳本にもない。同じくロリマー・グレアム本にポーがのちに書き加えておいた部分であろう。