赤坂のお酌梅龍が去年箱根塔の澤の鈴木で大水に會つた時の話をするのである。姐さんといふのは一時は日本一とまで唄はれた程聞えた美人で、年は若いが極めて落ちついた何事にも
水の出たのはその明くる日の晩よ。あたしお湯へ這入つて髮を洗つてゐたの。洗粉を忘れて行つたんでせう。爲方がないから玉子で洗つたのよ。臭くつて嫌ひだけど我慢して。さうすると、なんだか急にお湯が黒くなつて來て、杉つ葉や何かが下の方から浮いて來るのよ。妙だと思つてると、お富どんが飛んで來て、「水ですから、逃げるんですから、水ですから、逃げるんですから。」ッて外へ出ると、眞暗で雨がどしや降りなの。
その内に向う川岸の藝者屋が川へ落ちたつて言ふのよ。なんだか少し恐いと思つてると、
蝋燭を上げますから一本宛お取りなさいつて言ふ人があるの。それからみんな手探りで一本宛貰ふのよ。あたしそつと二度手を出して二本取つてやつたわ。あたし達はそれから二階へ通されたの。貰つた蝋燭は、
春本の藝者はあたし達を東京の藝者だと思つたらしいの。
梅龍は時々こんな物の言ひやうをする。自分は藝者といふ者と一向關係がないやうに言ふのである。それではお孃さんぶつてゐるのかと言ふと、さうでもないのである。要するに唯何でも構はず思つた通りをどしどししやべるのである。
だけど、聞くのも惡いと思つたんでせう。なんだかもぢもぢもぢもぢしてるのよ。「こんな所にゐてはその内に向うの山が崩れたッて噂なの。
すると何だか、轉がつて來たものがあるから、見ると、おむすびなの。一つ宛つきや呉れないのよ。それでもお腹が減つてたからおいしかつてよ。姐さんはどうしても喰べられないつて言ふから、あたし姐さんの分も喰べて上げたの。お
たうとうその晩は夜明かしよ。
朝の三時頃にお星樣が見えたの。その時のみんなの喜びやうつたら無かつたわ。
明くる朝は、又雨風がひどいのよ。いつまでそこの藝者屋にもゐられないし、それにもう塔の澤は一體に
出ようと思ふと、床の間に紙入が一つ乘つてるのよ。あたし姐さんのだと思つたから、澄まして自分の懷に入れつちまつたの。すると、そこへどつかの奧さんが上つて來て、「あの、若しやこの床の間に紙入が乘つてはゐませんでしたかしら。」つて、あたしに聞くのよ。さあ、あたしどうしようかと思つちまつたわ。あたしは確に姐さんのだと思つてるけども、若し姐さんので無ければ、その方のに違ひないでせう。でもそこで自分の懷から出して聞いて見る譯にも行かないわ。自分の懷から出して見せて、若しその奧さんのだつたら、きまりが惡いでせう。だから、あたし目を白つ黒しながら、「いいえ。そんな物ありませんでしたよ。」つて云つたの。さうすると、「さうですか、どうも失禮しました。」つて、その方は直ぐ下へ降りておしまひなすつたの。
姐さんは恐い顏をしてよ。「梅ちやん。お前さん、知つてゐて隱してゐるんぢやあるまいねえ。人間てものは、かういふ時には妙な氣を起し
それから
大抵な人は一度斯ういふ目に會ふと
やつと湯本の福住へ着いて、やれ安心とお湯へ這入つてると、こゝも危くなつたから、又逃げるんだつて言ふの。大變な
やつと別館へ着いたと思つたら、姐さんが目を廻してひつくり返つて了つたの。別館にはもう大勢お客が逃げて來てゐるのよ。するとそのお客の中から、大學生見たいな方がどういふ訣だか、マントで顏を隱して、コップに注いだ葡萄酒をマントの下から出して下すつたのよ。それを飮むと姐さんは直ぐ氣が附いたの。あんまり心配したり雨に濡れたりしたからなんでせう。
この事はその後都新聞へ文章面白く書かれた。その大學生は或博士の祕藏息子であつた。梅龍の姉は大學生の親切が元で思はぬ戀に落ちたといふ風な極古風な
それからお醫者を呼ぶと、別館では大勢で焚き出しをしてるのよ。あたし前の晩におむすび二つ喰べたつきりでせう。お腹が減つてたから隨分喰べてよ。姐さんの分もお富どんの分も大抵あたしが喰べちまつたの。
明くる日お天氣になつたから、玉龍さんと三人で
なんにも喰べる物がないから、お茶屋で懷中じる粉を買つて、お湯で解いて飮んだの。そしたら小さい日の丸の旗が出てよ。
懷中じる粉は買つたのではないのである。お茶屋ではもう何處かへ逃げてしまつて誰もゐなかつたのである。梅龍達はそこらに落ちてゐた懷中じる粉を拾つて來て水で解いて飮んだのである。これはもうお富に聞いて、わたしはちやんと知つてゐる。
それから歸り道に大きな石を拾つたの。それは隨分大きな石なのよ。三人で一生懸命に持ちやげたの。どうかしてこの石で姐さんを欺して遣らうと思つて、新聞屋へ寄つて、新聞紙を一枚貰つたの。それからその新聞紙で石を丁寧に包んで、おはぎの積りで持つて歸つたの。
家へ歸ると姐さんは一人で本を讀んでるのよ。「姐さん、おはぎをお土産に買つて來ましたよ。」つて、石を出すと、姐さんは本から眼を放さないで、「あいよ。」つて手を出したの。受けると馬鹿に重いもんでせう。きやあつて言つて驚いて庭へ投げ出しちまつたの。地響きがしてよ。姐さん隨分怒つたわ。
庭に穴があいたもんだから宿屋の人にも叱られてよ。でも隨分面白かつたわ。
水の時の話はそれつきりだけど、まだ跡で面白い事があつてよ。あたし達の泊つた箱根の春本の藝者で
あたし、どきつとしてよ。あたしが穿いて出た下駄に違ひないんですもの。あたしあの時なんでも構はず出てゐる下駄を突つかけて出た覺えがあるの。
それから、あたしその小玉さんとか言ふ人にあやまつたわ。あたし、あやまるの大嫌ひだけども、泥坊つて言はれるのは厭だからあやまつたの。そしたら、向うぢやもうあたしの顏よく覺えてゐなかつたわ。損しちやつたわねえ。
(明治四十四年十二月「中央公論」)