懷しい話
中谷宇吉郎
子供の頃、北陸の田舍で育ったが、その頃の日本の田舍の人は、質素というか、粗末というか、今から見たら、皆ずいぶんひどい生活をしていたものである。
そういう生活の中にあって、極端に生計を切りつめて、乏しいものを粒々と積み上げた人が、田舍での物持であった。それで物持といえば、けちと相場がきまっていたが、そのけちの程度が、度はずれているので、一種の愛嬌を生んでいた。
小學校時代を過したのは、加賀のDという町であったが、そこのお金持に、その代表的な人があった。たしか小さい工場などももっていたように聞いていたが、一代で仕上げた人である。當時の町の人たちの評判を、幼な心にきいたのを、まだ憶えている。何でも道を歩いていて、樽の栓が落ちていると、下駄でけりながら、自分の家の前までやってくる。そして家の前にくると、それを拾って家へはいる。ためておいて、焚きものにするというのである。
あの地方では、初夏の頃に、地引で櫻鯛がたくさんとれる。漁師の女房たちは、それを籠に入れて、天秤棒でかついで、D町まで賣りに來る習慣になっていた。或る時、誰かあまり急いだのでその鯛を一匹おとしていった。
そこへちょうどこの主人公が巡り合わせた。全くお誂え向きの話である。さっそく拾い上げて二三歩歩いたが、何を思ったのか、そのまま道の上において歸ったそうである。考えてみたら、これを持って歸ったら、焚木も要るし、醤油も使うことがわかったからである。まことに懷しい話である。
こういう五十年近くも昔の話を、今頃になって思い出したのには、わけがある。
この頃娘たちが、ヨーロッパから移住して來た人の家へちょっと下宿したことがある。そこの夫人が、まことにけちな人で、夜電氣アイロンを使うと「ちょっとお待ちなさい」という。夜の電氣料は高いから、晝使った方がいいというのである。もちろんそんなことはないのであるが、何か考えちがいをしているらしい。
それよりも驚いたのは、風呂場の掃除だったそうである。浴槽を眞ッ白に磨いておいたら、今度からそう綺麗にしなくてもいいという。「あまり磨くと浴槽が減るから」というのがその理由である。
これも、もう十年もしたら、娘たちには、懷しい思い出になるであろう。外國に移住して來た人の氣持が、何となくにじみ出ているからである。もっともこれは、金錢上のけちというのとは、少し違うようである。外へ食事に出かけて行くことなどは、案外平氣であって、この頃流行の言葉を使えば、一種のノイローゼなのであろう。
底本:「百日物語」文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2025年12月27日作成
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